2012年03月17日

601年(斑鳩宮の造営が始まる)

年号 〈ダジャレ・スタイル〉のゴロ(語呂合わせ)
601

@ 群れイルカが怒(いか)るんが見〜や。
☞ゴロの仕組☞ 別の意味を
持つ言葉
(ダジャレ)
怒(いか)るんが見〜や

いかるがのみや=斑鳩宮

(ラップ)
イルカが ⇔ 怒るんが


数字








×


×
l*`▲´*/≪ませら亭 暴羅のゴロの解説壱席 }( ´ ▽ ` )
|*`▲´*/ ≪ 「群れイルカ」の「れイ」の部分をよお、「れい」だからってぇ、数字の「0(れい)」に変換しちまったらダメだぜ!数字はみんな1つの文字にしか変換できねえシステムに作られてっからよお。
( ´ ▽ ` ) { つまり、「れ」だけが、数字の「0(れい)」変換されて、「い」は別に、数字の「1」に変換しなくっちゃならねえってことになりんすな。
|*`▲´*/ ≪ だぜ!メラクちゃん、イイこと言ったよ。
( ´ ▽ ` ) { あんまり、嬉しくねえ、物言いでありんすこと。

( ´ ▽ ` ){ませら亭 メラク&ボウラのぼけゴロ史解説壱席 |*`▲´*/≪
( ´ ▽ ` ) { 斑鳩宮(いかるがのみや)は聖徳太子さんが建てたとされる宮殿でして、太子さんのお住まいになられた場所、つまり、住居でもありんすよ。記録には、605年に移り 住むとあるので、この年は造営もしくは建築を始めた年にあたると思われるでありんす。近くに有名な「法隆寺」がありやんした。
|*`▲´*/ ≪「ありやんした」ってぇのは、なんでい?法隆寺は今でもあるだろうがよお、えー、メラクさんよお!
( ´ ▽ ` ) { あはらはら。やはり、そこに食い付いて来るでありんすか。
|*`▲´*/ ≪ おうよ。俺は何でもパクパク食い付いちゃうからなー、って、素頓狂(すっとんきょう)なこと言わせるなぁ!
( ´ ▽ ` ) { あはらはら。実はこの斑鳩宮は643年に焼失しておしまいになられやんして、その後も再建されず、今はもう無いからなんでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ なんでい!無くなっちまったのは、斑鳩宮の方かい!
( ´ ▽ ` ) { あいなりんす。ちなみに、この時、法隆寺は火災にあわずに無事にのこったとされていやんす。が、
|*`▲´*/ ≪ な、なんでい!まだ、なんかあるのかよお、メラクてやんでい!
( ´ ▽ ` ) { が、にもかかわらずでありんす、670年に全焼の記事が「日本書紀」に掲載されているんでありんすよ!この記事の真偽(ウソかホントか)をめぐって以前には法隆寺の「再建・非再建論争」がひんぱんの起こりやんしたが、その後の発掘などの科学調査の結果、今は「再建論」が定説になっているようでありんす。
|*`▲´*/ ≪ あ〜…チョイとガッカリだあな。
( ´ ▽ ` ) { つまりでありんすな、このゴロで扱っている頃の「斑鳩宮」は、この後の【643年】のゴロでも取り上げている事件で焼けて失われてですな、その周りにあっただろうお寺などの建物は、今度は670年の火事で無くなったんでありんす。
|*`▲´*/ ≪ つまりはよお、すべて完全に一度消えちまったってぇことだな。
( ´ ▽ ` ) { あい。そして、その後にあらためて今に伝わるたくさんのりっぱなお寺や有名な五重の塔などが建てられたということになりんす。ちなみに五重の塔が建てられたんはおそらく700年代はじめ頃と言われているでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ するってぇとよお、繰り返しになっちまうがぁ、「斑鳩宮」自体はよお、ずっと再建されずに今でも無えってことだよな? えー、メラクのスットコドッコイ様よ!
( ´ ▽ ` ) {あいな。今はもうありませんによって、「斑鳩宮」のあった場所に今は、法隆寺の重要な一部になりんす「東伽藍(ひがしがらん)」が建てられているでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ なるなるだぜ!
資料
準備中


posted by ヒストリック・パパ at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ▷飛鳥時代@7世紀前半 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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