2012年03月17日

623年(恵日が唐から帰国する)

年号 〈パロディ・スタイル〉のゴロ( 語呂合わせ )
623

@ 「ラブ・ミー・唐(トウ)だ〜♬」
byエニチ・プレスリー
☞ゴロの仕組☞ 別の意味を
持つ言葉
(ダジャレ)
ラブ・ミー・唐だー

ラブ・ミー・テンダー
エニチ( 恵日)・プレスリー

エルヴィス・プレスリー

(ラップ)
このゴロでは無し


数字








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パロディ解説右向き三角1 ゴロのベースは曲「ラブ・ミー・テンダー」で歌うはエルビス・プレスリー
l*`▲´*/≪ませら亭 暴羅のゴロの解説壱席 }( ´ ▽ ` )
|*`▲´*/

( ´ ▽ ` ){ませら亭 メラク&ボウラのぼけゴロ史解説壱席 |*`▲´*/≪
( ´ ▽ ` ) {「恵日(えにち)」さんは百済(くだら)からの渡来人になりんす。で、それからになりんすが、今の中国にこの頃、ありんした「唐(とう)」の国に留学してですな、医術を学んで帰国したんでありんすな。以降は「薬師恵日(くすしのえにち)を名乗るようになりんすよ。その留学の経験から先進国の「唐」との正式な国交を開くべきだと建言(けんげん)なさってなぁ、これが聞き入れられたのか7年後の「630年」に第一回目の遣唐使が派遣されることになりんして、そのメンバーの一人に恵日さんも見事に選ばれているでありんす。でありんすによって、その後の漢方医学、極端にいうとでありんすな日本式中国医術なるものは、恵日さんに始まるともいわれていやんす。
|*`▲´*/ ≪ それどころかよお、この後、250年も続く遣唐使さえもだよ、恵日さん無しにはよお、あり得なかったんじゃねえか、ってぇ見かたもできそうだぜ!なあ、おい。
( ´ ▽ ` ) { ありんす。なりんす。ちなみに、恵日さんは「608年」に行われやんした第三回目の遣隋使の小野妹子と一緒に中国へ渡ったとされる説もありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ 「遣隋使」というからには当然「隋」の国のことだあな。遣唐使が「唐」の国に行くことでよお、遣隋使は「隋」の国に行くことならあな。「隋」が滅びて「唐」になるワケだからよお、恵日さんはこのゴロのずっと前にも中国に渡っていたかもしんねえってことだあな。要は、恵日さんは隋の国にも、その後にできた唐の国にも行った、ってぇことになりやがるな。
( ´ ▽ ` ) { そうなりんすなぁ。ちなみに小野妹子さんの初遣隋使はその前年の607年で、隋の記録では第二回になりんすが、日本の記録ではなぜか第一回目にあたってることになっておりんす。
|*`▲´*/ ≪ な〜んか、面倒臭え話だあな。どっちかが、間違ってのか、両方合ってんのか、両方間違ってんのか、のいずれなんだろうがよお。
( ´ ▽ ` ) { あはら。そりゃ、そうなりんすなあ。
資料
準備中


posted by ヒストリック・パパ at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ▷飛鳥時代@7世紀前半 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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