2012年04月05日

743年(墾田永年私財法)

年号 〈ベーシック・ダジャレ・スタイル〉のゴロ(語呂合わせ)
743

@ 無し三世、こん(これ)でええねんウザい法は。
☞ゴロの仕組☞ 別の意味を
持つ言葉
(ダジャレ)
三世

三世一身法
こんでええねんウザい法

墾田永年私財法
こんでええねん

これでいいんだ

(ラップ)
このゴロでは無し


数字








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l*`▲´*/≪ませら亭 暴羅のゴロの解説壱席 }( ´ ▽ ` )
|*`▲´*/

( ´ ▽ ` ){ませら亭 メラク&ボウラのぼけゴロ史解説壱席 |*`▲´*/≪
( ´ ▽ ` ) { この年から20年前に作られた【723年】のゴロでも扱ってるでありんす「三世一身法(さんぜいっしんほう)」によって、墾田(こんでん)は、孫の代までの3代の間は私財化が認められていたんでありんすが、それでは3代後に国に返さなきゃならないことが分かりやすんで、新しい土地をがんばって使えるるように開墾しようという意欲を農民さんたちに起こさせることが出来なかったんでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ そりゃそうだわな。取られるってェ分かっててェよ、大変な仕事なんてェ出来んわな、普通よお。
( ´ ▽ ` ) { あい。で、それを踏まえてですな、米の生産を増やす為にもっと長い年月、つまり永年(えいねん)にわたって耕した土地を私財することを認める法律を新しく出したんでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ そんなんよ、出す前に気づけってんだよな。結局、農民やら百姓の気持ちなんてまるで分かっちゃあいねえヤカラが作ったに決まってやがんだ、この、こんこんちきが!
( ´ ▽ ` ) { で、その新しい法が、743年(天平15)聖武天皇のときに、発布された「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)」でありんす。以後に開墾した土地は定められた面積に限ってではありんすが永久的に私有することを認めることになりんした。
|*`▲´*/ ≪ まあ、これでめでたし、めでたし、ってェところだわな。
( ´ ▽ ` ) { ところが、そうは簡単に行かないでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪!!な、なんでい?
( ´ ▽ ` ) { この法の成立によって、新しく開墾した土地が永久に自分の物になることが保証されるようになって、一番本気になったのは、有力な貴族や地方豪族などの一部の地位や権力や財産を多く持つお人達だったんでありんすよ。彼らは、国司や郡司の協力を得てですなあ、近くの農民やら不浪人やらを使って大規模な開墾を進めて、ドンドンと私有地を広げて行くことになりんすよ。その中でもですなあ、東大寺やらの大寺院なんかは、広大な開墾の候補地を独占して私有地を広げていくんでありんすなあ。で、こうして出来上がった広大な私有地のことを「初期荘園(しょきしょうえん)」と呼ぶんでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ ケーッ!結局は、何らかの形で一部の強い力を持ったヤツらが独占しやぁがる!世の中のシステムは大昔から変わらずかァ?こりゃあ。そん当時の朝廷にしてみりゃあ、たくさんのお百姓さん達が、一生懸命に開墾してよお、で、そん土地で米やらの農作物を作ったりよお、桑畑にして絹糸とかをたくさん作ってもらってよう、今でいう税金をたくさん納めてもらったほうがよお、天皇さん以外にデケェ過ぎる権力を持つモンも現れねえで、世ん中が安定してイイってもんだろうによ。そうは問屋が卸さねえ、ってぇわけだ!
( ´ ▽ ` ) { あはらあはら。でありんすによってに、農民さん達のためというよりは、富豪や大寺院への利益誘導のために作られた法律だったんじゃねえか、という説もあるんでありんすよう。
|*`▲´*/ ≪ ま、それは別にしてだよお、「三世一身法」の施行されんのが【723年】でよお、この「墾田永年私財法」の施行されんのが【743年】だからぁよお、「三世一身法」は調度20年でダメになるってぇ覚えておくんのもいいかもしれねえぜ!
資料
準備中


posted by ヒストリック・パパ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ▷奈良時代A8世紀中盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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