2012年04月05日

760年6月(光明皇太后死去)

年号 〈ベーシック・ダジャレ・スタイル〉のゴロ(語呂合わせ)
760

6月
@ 散る大物バック・ライトで笑み落ちかつ
☞ゴロの仕組☞ ダジャレ
部分
バックライト

後明(光明)
笑み落ちかつ

恵美押勝(えみおしかつ)

(ラップ)
ナシ


数字








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l*`▲´*/≪ませら亭 暴羅のゴロの解説壱席 }( ´ ▽ ` )
|*`▲´*/ ≪ 「バックライト」はよお、直訳すると「後ろの明かり(光り)」でよお、で、縮めて「後明」でそれを「こうみょう」ってぇ読んでよお、同じ読みの「光明」に引っ掛けると……分っかりにきー。

( ´ ▽ ` ){ませら亭 メラク&ボウラのぼけゴロ史解説壱席 |*`▲´*/≪
( ´ ▽ ` ) { この年、恵美押勝(えみおしかつ)つまり藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)さんにとって最高の庇護者である光明皇太后(こうみょうこうたいごう)さんがお亡くなりになりんす。光明皇太后さんは、前々天皇の聖武天皇さんの正妻に当たる人で、あのフヒーこと藤原不比等さんの娘でもあり、実に仏教信仰心篤(あつ)いお方になりんして聖武天皇さんとご一緒に数々の仏教を広め、活性化させる政策をお取りになられたお方でもあり、すでに聖武天皇さんが逝去していない当時の大和朝廷において恐らく1番影響力を持っていたお方だったと思われるでありんす。
|*`▲´*/ ≪ 奈良の大仏を作らんしたのも聖武天皇さんと光明皇后さんの2人だあな。
( ´ ▽ ` ) { あいな。なんで、光明皇太后の死を境に仲麻呂さんの権力はドンドンと落ちて行くことになりんす。
|*`▲´*/ ≪ まあ、結局は「光明の七光り」…もとい、確か仲麻呂さんはフヒーの孫だから…「おばさんの七光明」てぇ言える他人の力で権力の座についていただけでよう、真の実力が無かっただけ、ってぇことかもな。ま、てめえの唐オタクをワガママに押し付けるようなふてえやつだからな、実力なんてたかがしれてるわな。だから、泣きつく相手がいなくなって「笑み落ちかつ」。こいつはピッタリだあね、てやんでい!べらぼうめー!!
( ´ ▽ ` ) { あはらあはら。そういうことになりんすかねえ、ホントに。
資料
準備中


posted by ヒストリック・パパ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ▷奈良時代B8世紀後半 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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