2011年11月11日

887年 11/21(阿衡(あこう)事件/阿衡の紛議)

▽年号 〈ベーシック・ダジャレ・スタイル〉のゴロ(語呂合わせ)
887

11月21日
@ 「半端なしムカつくわ!」って赤う顔して怒ってなはるわ
▷ゴロの仕組▷
言葉の
  説明
(ダジャレなど)
赤(あこ)う

阿衡(あこう)
      韻  ▷
(ラップ)
このゴロでは無し

       ⇅   ▷
数字




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l*`▲´*/≪ませら亭 暴羅のゴロの解説壱席 }( ´ ▽ ` )
|*`▲´*/ ≪ 「ぱぴぷぺぽ」とかマルの付く文字、こういうのを「半濁音(はんだくおん)」ってぃ言うんだけどよぉ、半濁音の文字はマルを取った場合の文字と同じ扱いとするルールになってからよぉ、そこんとこ覚えてくれよな。
( ´ ▽ ` ) { つまり、ここのゴロで言うと、数字の「8」は「は」に変換できることになりやんすがそれは同時に「ぱ」にも変換できることをも意味するんだ、ってぇことになりんすな。
|*`▲´*/ ≪ おうよ!だからよぉ、ここのゴロはそのいい例なんだあな。数字の「8」が「は」と「ぱ」の両方に変換して使われてるワケだからよぉ!
( ´ ▽ ` ) { このゴロを参考にして「半濁音」の変換ルールを是非覚えて欲しいでありんすなぁ。
|*`▲´*/ ≪ そう言うことだぜ!

( ´ ▽ ` ){ませら亭 メラク&ボウラのぼけゴロ史解説壱席 |*`▲´*/
( ´ ▽ ` ) { この年、「阿衡(あこう)事件」が起きやんした。「阿衡の紛議(ふんぎ)」とも言うでありんすよ。この年の11月21日に、こん時の天皇になりんす「宇多(うだ)天皇」さんが時の権力者「藤原基経(ふじわらのもとつね)」さんを関白(かんぱく)へと詔勅(しょうちょく)なされたんでありんすが、この時の文句の中にあった「阿衡(あこう)」と言う表現が気に要らないから俺、関白やりたくねえって怒り出しちゃったんですな。
|*`▲´*/ ≪ なんじゃい。またそりゃ、えれぇ子どもじみた話じゃねえか。
( ´ ▽ ` ) { なりんすなぁ。この「阿衡」の文句、もっと詳しくいうと「阿衡の任をもって」という表現だったんでありんすが、これは「橘広相(たちばなのひろみ)」さんていう学者さんが基経さんに関白になってもらうために宇多天皇さんの代わりに考えたもんだったんですな、その表現に基経さんが食いついて、さらに基経さん側の学者である文章博士の「藤原佐世(ふじわらのすけよ)」さんが「阿衡は位(くらい)が貴(たか)くても職掌(しょくしょう)がない」と基経さんの物言いを学問的に補強してダメ出しをしてきたんでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ でぇ、宇多天皇さんサイドは時の権力者に難癖(なんくせ)みたいの付けられた上にヘソ曲げられたってぇいうんで大弱りってぇワケだ。でもよぉ、ホントに難癖に近えよな。だって、宇多天皇さんが任命して基経さんに付けようしてた役職は関白だったんじゃねぇのかい?阿衡じゃなくてよぉ!
( ´ ▽ ` ) { そこなんですな、この事件の???になりんす所は。実は「関白」ってぇ言葉はこの宇多天皇さんの詔勅によるものが初出、つまり歴史的に見て初めて現れたものになりんすよ。
|*`▲´*/ ≪ まあ、歴史的に見て、っていうことは「今のところ」ってぇいうことだろうけどよぉ。するってぇとなんでい?結局のところ、宇多天皇さんサイドは、基経さんになんの役職に就かせようとしてたんでい?
( ´ ▽ ` ) { つまり、それがよくわからないんでありんすよ。文章表現をそのままに捉えるとですな、「阿衡の任をもって」っていう表現はそういう役職に就いてくれとも採れるし、他に喩(たと)えとして使われてるとも読めるワケでありんしてな…もし、喩えとして使われていたのだとすると基経さんサイドのツッコミは少々、的(まと)が外れてるということになりんすし…
|*`▲´*/ ≪ つまりよぉ、それをまた例えるとよぉ、ある会社でみんなで次の社長はあの人が良いってぇ決めてよぉ「我々のリーダーになって、会社を仕切って下さい」ってぇお願いしにいったら「リーダーは役職じゃないからおかしい!」って、イチャモン付けられてんのとおんなじようなことだろ?そりゃ、リーダーは役職じゃねえよ!って、そこに食い付かれてキれられてもこちとら、どうしていいか分かりゃあしねえや、ってやんでい!ってぇトコじゃねえのかい?おい、メラク!このクソボケカスがっ!どうなんよ!
( ´ ▽ ` ) { なりんすありんす。でですな、喩えじゃなくて阿衡と言う職に就いてくれという要求だったとしたら、基経さんサイドのツッコミも成り立たないワケじゃあ無いんでありんすなぁ…
|*`▲´*/ ≪ ところがどっこい!そうなるとよぉ、「関白」ってぇのはなんなの?ってぇ別の疑問が浮かび上がっちまうワケになりやがるってぇ魂胆だな。
( ´ ▽ ` ) { あいな。所が話のポイントは「関白」に行った形跡がないんでありんすなぁ。そうはならずに、この「阿衡」の表現をめぐって二人の学者が対決することになりんすよ。でぇ、どうもこの弁論対決っていうんかそういうんが行われた結果、翌年の6月2日に宇多天皇さんが自分の本意ではなかったと言って詔勅を撤回することになりんす。
|*`▲´*/ ≪ なな!すると、宇多天皇さんサイドが間違いを認めて謝ったってぇことかい!?「関白」ってぇ言葉はその後、定着しまくりやがるワケだろう?それを考えて推理したらよぉ、結局のところ、宇多天皇さんサイドは基経さんに「関白」ってぇ新しいポジションに就いてもらおうとしていたワケで、「阿衡」ってぇのは喩えにすぎなかったということになるんじゃねえのかい?お、メラクさんよぉ!
( ´ ▽ ` ) { でもですな、別の見方をするとでありんすな、本当に「阿衡」と言う職に就かせようとしてたのにケチが付いたから、もう一つの表現になりんす「関白」に落ち着いたってぇ事も考えられるでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ ぬな!ううう……確かに…ってやんでい!べらぼうめえ!!要はよぉ、宇多天皇さんサイドは基経さんをちゃんとした要職に就ける気がなかったんじゃねえのか?もうそろそろ現役は引退したらどうですか?ってな意味合いだったとかよぉ。名誉職みたいなんを与えて隠退の花道を作ってやったぜ!みたいなつもりだったとかよぉ。ところがどっこい!基経さん、そんな気、これっぽっちも無かったぜ!ってんで頭に来やがりまくっちまったとかよぉ。
( ´ ▽ ` ) { それかですな、後に「摂関政治(せっかんせいじ)」と呼ばれるようになる「摂政」「関白」の「関白」に当たるポジションそのものがもともと当時まだ無かった、もしくは確立されてなかった。ってぇことなのかもしれねえでありんす。
|*`▲´*/ ≪ つまりよぉ、このもめごとが「関白」ってぇ役職を生み出すことになった。ってぇことかい?
( ´ ▽ ` ) { まあ、あれでありんすよ。この事件から読み取れるもう一つの重要なことは、それくらいこの頃の基経さんが、そして、基経さんの所属する藤原氏ってぇいうもんが朝廷においてのトップである天皇さんをおびやかすだけの強大な権力を持つに至っていた、ってぇことを良く表す事件だった。ってぇことでありんすよ。
|*`▲´*/ ≪ なるなる。
( ´ ▽ ` ) { ちなみに、基経さんの怒りを鎮めるのに一役買ったのがこれから活躍することになる学問の神様で有名な「菅原道真(すがわらのみちざね)」さんになりんすよ。これは、前出の学者さんが2人とも菅原道真さんのお父様になりんす「菅原是善(これよし)」さんの教え子だったつながりによりんす。
|*`▲´*/ ≪ なんでい。言うたら同門のライバル対決ってぇことでもあったってぇワケだ。それで、盛り上がちゃった、ってぇトコもあったワケね。
( ´ ▽ ` ) { あはらはら。なりんすなぁ。
資料
準備中


ラベル:.887年
posted by ヒストリック・パパ at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ▷平安時代 F 880年〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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